=遠くて不思議な国エジプトの子どもたち
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最近よく、「なぜそんなにエジプトに魅かれるんです
か」と聞かれる。
日本から飛行機で二十一時間、国土の九七%までが砂漠に覆われ、ナイル川に沿って独得の生き方をしているエジプト。日本とはあまりにかけ離れた空間の中に、イスラム教の深い祈りとともに、安らかな平和なときが流れている。
早朝のカイロ空港のヒンヤリとして乾いた空気に触れた瞬間、自分の故郷に帰ったようなホッとした安堵感を味わう。とくに三月、四月にかけてのエジプトは最高だ。燃えるような真紅のロイヤルポインセチアの街路樹、白やピンクのジャカランダの花々、赤紫のブーゲンビリアが雲一つない異音な空に輝いている。
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エジプトには不思議な引力がある。私にとっての引力の原点は、ピラミッドと王家の谷にあるラムセス六世の天井壁画である。ギザにある三大ピラミッドのひとつ、クフ王の玄室の中の五千年来の重苦しい空気は、私の胸の内を熱く掻き乱し.不思議な力を与えてくれる。
かつて都として栄えていたルクソールの西岸、王家の谷にあるラムセス六世の天井壁画もその一つだ。 |
褐色の岩山の中の洞窟のような通路をぬけ、玄室に入っていくと、昼と夜の世界を支配する天体の女神・ヌト神の巨大な裸体が天井いっぱいに描かれている。その長い胴体の中に真赤な丸が数個……ヌト神は一日一個太陽を食べて、夜から朝をつくり全宇宙を支配しているという。五千年前の人々のなんとスケールの大きい発想! 私にとって太陽は拝むものであり、その太陽を飲み込んでしまうなんて……。この強烈なショック以来、エジプトは不思議な力で私を呼ぶ。
その衝撃的な出会いにそれまでの悩み事に一喜一憂していた自分が、とても小さく思えるようになった。自分の絵の教室にばかり目を向けていた自分は、ナンテ小さな世界にいたんだろう。海外を旅行してみてきた世界を子供たちに伝えるだけでは、インパクトが弱いのではないか。日本の子供たちが描いた絵を持って行って、エジプトで見てもらおう。こちらから働きかければ、向こうも子供たちの絵を日本に提供してくれるに違いない。そして、いつかは一緒に交流する機会をつくろう・・・様々なことを思い描きはじめた。

エジプトでは、家族の中で、子どもだからという特別扱いは一切ない。ルクソールで知りあったマホメット家の長男のアイーメンと次男のマハメットは農場をまかされている。学校から帰るとバイクに乗って農場にでかける。馬、牛、羊、鳩にエサをやり、耕運機を使って畑を耕す。身体は小さくても、態度や表情は大人とまったく同じで、自身に満ちた目をしている。三男のヒーハブはカフェテリアを手伝い、客にシーシャ (水パイプ) の火の用意をしたり実によく働く。兄弟がとても仲よく、上の子が弟や妹のめんどうをよくみる。ヒーハブとエブラヒムも、二歳のフェバをよく子守している。このマホメット一家のランチタイムの豪華さ、にぎやかさは見事だ。
どこの家庭を見ても、イスラム教が真から生活に浸透していることを強く感じる。信仰は幼いうちから自然のうちに習慣づけられていく。小学校に入ると宗教の時間が毎週四時間近くあり、アラビア語の時間も、多くはコーランをテキストとして使っている。

初めは驚いたけれど、今ではなんの疑問ももたず、アラーへの感謝の気持ちに生きる人々の姿が清らかに見える。マダム・パンセイの別荘のあるカイロ郊外のミーソアーソンヴィレッジに行ったとき、川沿いに数人の子どもたちが遊んでいるで、夕日に向かって祈る八歳くらいの少年の後ろ姿を見た。祈る姿は宗教を超えて心を打つものがある。
子どもたちの日常生活もそれぞれ貧富の差によってまるで違う。カイロ市内のザマレック地区あたりの高級住宅街に住む金持ちの子どもたちは、キチンとした制服を着て、父親の出迎えの車に乗って家に帰ったり、友だち同士連れだって、駄菓子屋で買い食いしている姿もよく見かける。そうかと思えば、ロバに大きな木箱を乗せた荷車を引かせ、街中のゴミを集める子どもたち。ラッシュ時の車の渋滞の中を横切りながら、レモンなどを売り歩く子どもたち、街頭に座り靴をみがく子どもたち……
そんな子どもたちの多くは学校に行っていないのだろう。エジプトの文盲率はだいたい六〇%と言われている。

カイロのサッカラ街道沿いにハラネイヤアートスクール≠ニいうすばらしい工房がある。今から三十六年前、ラムセス・ウィサ・ワセフという一人の建築家が、豊かな人間性を育てるには、物を創造することしかない。貧しい子どもたちに創造の場を与え、その歓びを教えていこう≠ニいう発想町もとに私財を投じて建てた学校である。
ここでは陶芸、織物、ろうけつ染めが創られ、初めは四歳からの一五人の子どもたちによってスタートした のが、今では六五人がここで制作している。彼らは学校には行かず、最低一日四時間は物づくりに励んでいる。
ここのすばらしいのは、創られた作品も見事だけれど、ガウディの建築を想わせる褐色の泥づくりのモスク風の造りの工房全体の建物がすごい。

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真赤な夕日を見ながら、エジプトの子どもたちの絵を集めてくれた文化庁のマダム・パンセイが言った。
「アサバ、エジプトも日本のように近代国家になったほうがいいと思う? どう思う?」
たしかにエジプトは日本に比べると貧しいけれど、彼らの心はけっして貧しくない。子どもたちの表情は明るく、陰うつないじめや自殺なんてもちろんない。社会的犯罪も日本より非常に少ない。ちなみに自殺は年間日本が二万五〇〇〇人にたいしてエジプトは四八人。それに公務員の月収が約八〇〇〇円であるから、物価が安いからといって、けっして生活は楽ではない。
人間にとって本当の豊かさとはなんだろうか。もちろん価値観は人によって違う。けれど行きすぎた近代的な生活は、時に人の心までも機械化していく。とくにこわいのは、子どもたちは、それをあたり前のものとして、本当のものを見ることすら気づかないで育っていくことだ。 |
豊かさとは、けっして物が満ちあふれ、生活が便利化されていくことではない。一番大切なのは、感動する心、あたたかさ、思いやり、やさしさ、ではないだろうか。
エジプトには、人間が忘れてはいけない原点の心が、今もなお満ちあふれている。

1985年日本の子供たちの絵をもって、訪れたのはルクソール子供文化センター。この小さな一歩が大きな夢の始まりだった。そして1989年、春休み12日間日本の小学生を中心とする30名を「エジプト子供絵画親善使節団」として連れてエジプトへ。首都カイロのメルディアンホテルの大ホールにて、ムバラク大統領夫人主催による日本とエジプトの『子供絵画交流展』を実現したのだ。エジプト政府の計らいにより学校見学やテレビ出演などの親善大使ならではの貴重な体験とともに、カイロ、アスワン、ルクソールとナイル川沿いにツアーをし、古代と現代ふたつのエジプトを体験できた。日本とエジプト子供たちが交流展を通して、お互いの国の違いを知り、未知の体験を通して新しい自分を発見するすばらしい機会になった。

絵はある意味で、その国の文化そのものを表現している。エジプトの場合はまず、画材が乏しい。普段はわら半紙に書くことが多く、絵の具はめったにつかえない。よく使われるのは、6色の水性ペンと色鉛筆かクレヨンくらい。
一度、日本から12色の油性ペンと画用紙を持っていったことがあった。初めて見る油性ペンにこども達は目を輝かせたが、その場に居合わせた子供の数はなんと50人。全員にいきわたらせるためにB5版の画用紙を半分に切り、油性ペンは順番を決めた。小さな画用紙えを大事そうに手にした子供たちは、順番が来るとうれしそうに油性ペンを使った。
日本の子供たちのように時間に追われることもないエジプトの子供たちの絵は、とてもキメが細かく、ていねいにぬりつぶしていく方法がほとんどだ。青空しか知らないエジプトの子供たちの描く絵は素直で虚飾がない。自分の目でみたままをストレートに表現する。ものは貧しくても心は豊か、だから私達の心をとらえるのだろう。
急がしすぎる日本のこどもたちは、時間に追われ、笑顔が消え、挨拶をわすれ、人の痛みを感じなくなっていく。
物質社会・便利な生活にうもれて、自分を見失ってしまわないためにも、この同じ地球の上で生きてる仲間であるほかの国の子供たちのことを知ること、そして自分達の国や社会をあらためて知ることで世界をみつめる視野を広げてもらいたい。
画用紙の上に広がっていく子供の自由な内的世界。1枚の絵は言葉の壁を越え、国境を越えて、地球をつなぐ大きなメッセージとなる。ささやかだけれども、こどもの絵画交流を続けていくことによって、国際平和に結びつけばいいなと考えている。
*エジプト文化交流活動に関する各種掲載文[1984年〜1994年]からの抜粋・再校正しました。2009.7.28くまがい
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